不動産・ウェルネス
WELL認証は「取得」から「運用・実測」へ―企業は健康オフィスの"何に"お金を払うのか
2026/5/21

「WELL認証の取得=健康オフィスの完成」ではない。維持できなければ認証は"切れ"、物件価値も静かに下がる。
2026年5月19日、東京・赤坂のミッドタウン・タワーで「WELL 2026 Summit Tokyo」が開かれた。IWBI(International WELL Building Institute)主催・Green Building Japan(GBJ)共催で、IWBIのCEO Rachel Hodgdon氏らも来日し、テーマには「健康への投資は報われる(ROI)」「WELL×GRESBレポーティング」が並んだ(GBJ/IWBI、2026年5月)。
数字でみれば、健康空間への投資はもはや一部の先進企業の話ではない。WELL認証(本体)の国内累計取得は90件規模に達し、その多くがオフィス用途である(GBJプロジェクトリスト、2026年)。国内向けのCASBEE-ウェルネスオフィス認証も、累計で100件を超えた(IBECs/ene-cal、2026年)。
だが、件数の増加とともに評価の重心は静かに動いている。「設計図と書類で良い建物を計画したか」から、「いま実際にどう機能しているかを、毎年の実測で証明できるか」へ――。それを象徴するのが、IWBIが2026年1月に新設した「WELL Operations Rating」だ。REITやファンド、運用会社が建物の"運用・管理"そのものを継続評価する制度で、評価軸が運用フェーズへ寄ったことを示している(IWBI、2026年1月)。本記事は、ビルオーナー・テナント・経営/総務/人事の視点から、この運用・実測フェーズを「企業は何に・なぜ・いつまで対価を払うのか」という軸で読み解く。
① 取得は増えた。だが評価軸は"実測"へ動いた
Summit Tokyoが「投資は報われる」を掲げた背景には、健康投資の費用対効果を裏づける数字の蓄積がある。メンタルヘルス対策への投資1ドルが約4ドルのリターンを生むという試算は、WHO系研究を出どころに業界で広く参照されている(業界参照値、2026年時点)。
そして日本では、職場環境を「客観データで示す」ことを企業に迫る制度的な追い風が二重に効いている。
第一に、健康経営優良法人制度。2026年認定は大規模法人部門3,765法人・中小規模法人部門23,085法人で、合計約2.7万法人に達した(経済産業省/日本健康会議、2026年3月)。とりわけ上位認定の「ホワイト500」では、プレゼンティーイズム・アブセンティーイズム・ワークエンゲージメントの実績値と、その測定基準のURL開示が必須とされ、「施策を実施した」から「効果を実測した」ことの証明へと水準が上がった(経済産業省、2026年)。
第二に、人的資本の情報開示義務化。2023年3月期から有価証券報告書提出企業(約4,000社)に開示が義務づけられ、2026年3月期からは経営戦略と結びつけた説明へとさらに深化する(金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」改正、2023年・2025年11月)。
需要の裏づけもある。東京都心5区では、延床面積ベースで54%以上の賃貸オフィスビルが環境認証を取得し、調査開始以来初めて過半に達した(三井住友信託銀行・三井住友トラスト基礎研究所、2024年7月)。健康・快適性能を客観データで示せる空間に、市場はすでに価格をつけ始めている。
増えたのは「取得件数」であって、「維持されている健康性能」ではない。 そして制度も市場も、求める証拠を「書類」から「実測」へと切り替えつつある。
② 取得=書類、維持=実測 ―― ここでつまずく
WELL認証の本体(WELL v2)は、設計・施工・運用の各段階を書類審査で評価し、3年ごとの再認証と毎年の年次報告を求める制度である(IWBI)。これに対し、IWBIが2022年に正式発表したWELL Performance Ratingは、評価の経路を「現地テスト・センサーデータ・居住者サーベイ」の3つの実測経路だけに限定し、7テーマ・33項目のうち21項目以上の達成と、毎年の更新(Annual Renewal)を前提とする(IWBI、2022年発表/2025年版ガイド)。空気質・水質・照明・温熱・音・環境モニタリング・居住者体験の各領域を、実際の数値で評価する。設計意図ではなく「いまの状態」だけが証拠になる仕組みで、Carrier、Honeywell、Johnson Controls、Schneider Electric、パナソニックなど主要設備メーカーと共同開発された(IWBI、2022年)。
その思想は明快だ――測定できないものは、改善できない(IWBI)。
問題は、この「維持」が想像以上に重いことにある。認証取得後は、入居後調査・メンテナンス記録・空気質や水質・温熱の継続モニタリング結果を毎年提出し続けなければならず、提出が滞れば再認証の資格を失い、認証が失効すれば別途の再有効化手数料が発生する(IWBI、2024–2025年)。
そして躓きの多くは、建物そのものの性能ではない。WELL Facultyの実務家は、再認証の失敗の多くが建物パフォーマンスではなく「記録管理の不備」に起因すると指摘する(WELL Faculty、2025年)。フィルター交換ログの項目漏れ、担当者交代によるデータの断絶――。WELL v2は評価の相当部分が健康経営方針・入居者調査といった人事・運用面のソフト施策に配分されており、組織変更や担当者の異動が、認証維持を直接脅かす(IWBI評価構成、2024年)。
認証は、建物に一度貼られるシールではない。毎年の更新が必要な"運用の約束"である。
③ 企業はいま、健康オフィスの"何に"金を払っているのか
ここで論点を需要側の財布に引き寄せたい。企業が認証の取得・維持に対価を払うのは、突き詰めれば次の4つの理由に整理できる。
第一に、賃料プレミアムの維持・獲得。 国内のオフィス賃料における環境認証のプレミアムは概ね+4〜7%で計測されている(三井住友信託銀行+4.7%、estie×価値総合研究所+4.7〜7.1%、CBRE+5.4〜6.4%、2023–2024年)。健康(ウェルネス)特化の認証に絞った研究でも4〜7.7%のプレミアムが報告されている(IWBI、2024年/健康認証オフィスの賃料研究、2025年)。
第二に、ブラウンディスカウントの回避。 プレミアムの裏側で、環境性能が不十分な物件は賃料・売却価格で市場平均を下回る。その下落幅は最大10〜20%と推計され(JLL、2023年)、世界の不動産専門家の約50%がこの減価を経験したと答えている(RICS、2024年)。決定的なのは普及率だ。前述のとおり東京都心5区は環境認証取得が過半(54%)に達し、希少性プレミアムが薄れるなかで、「持っていない/維持できていない」ことが減点へと転化していく。投資利回り(キャップレート)でも認証物件の優位が観測されている(日本不動産研究所、J-REIT保有物件分析)。
第三に、制度対応の裏づけ。 ホワイト500の客観データ開示要件も、人的資本開示の「健康・安全」分野も、企業に職場環境の数値化を求める(経済産業省/金融庁)。実測ベースの認証は、その開示を第三者が裏づける"証明書"として機能する。
第四に、採用と人的資本。 人材獲得に注力する企業ほどウェルビーイング対応への関心が突出して高い(DBJ・価値総合研究所「ステークホルダー意識調査2025」、2025年11月)。WELL認証オフィスでは入居者満足度が28%向上、生産性スコアが10ポイント改善したとの研究もある("Building & Environment"誌、2023年)。実際に日本企業の約50%が「ESG基準を満たすオフィスに高い賃料を払うのは妥当」と答え(CBRE、2024年)、グローバルでは約70%が「将来プレミアムを払ってでもグリーン認証物件を借りたい」と回答している(JLL、2024年)。
企業が払っているのは「認証ロゴ」ではない。賃料・資産価値・制度適合・採用力という、測定可能な経営成果である。
④ そして、価値は"払い続ける"構造になっている
実測フェーズの本質は、支払いが一度きりでは終わらないことにある。
認証維持は、いまや継続課金のエコシステムとして成立している。IWBI自身が年額サブスクリプション型の料金体系を用意し、センサーとクラウドダッシュボードを組み合わせるIAQ計測サービスも年間課金が前提だ。たとえば、あるセンサー事業者の公開分析によれば、Kaiterraのセンサー10台を3年運用すると約12,100米ドル(年額サブスクリプション込み)、これに対し低価格を掲げるAirGradientの年間サブスクはその約1割と公表されている(各社公開情報、2024–2025年)。継続データ監視の認証標準RESETに至っては、初年度の審査費に加え2年目以降も毎年の更新費用が発生する設計である(RESET、2025年)。いずれも「やめれば認証が失効する」という構造が、継続的な支払いを前提化している。
では、価値を維持できている物件は何をしているのか。鍵は、実測を運用に組み込む仕組み化にある。IWBI認定の試験機関やセンサーを通じて継続計測データを蓄積すると、再認証時の現地試験を削減でき、維持コストを抑えられる(IWBI/センサー事業者、2024–2025年)。BMS(ビル管理システム)やCMMSと連携し、ログを自動で記録・整理する物件は、②で述べた「記録管理の不備」という最大の失敗要因を構造的に潰している。国内でも、年次報告の代行から再認証フォローまでをパッケージで担う専門事業者が増え、委託先のエコシステムが成熟しつつある(パナソニック エレクトリックワークスはWELL 2026年度「Consultant of the Year - Asia」を受賞、2026年)。
具体例も出はじめた。大建工業のR&Dセンター(岡山県)が、WELL Performance Ratingを国内で初めて取得した(2024年4月、海外を含め世界9例目/大建工業プレスリリース、2024年5月)。続いてダイキン工業が東日本コンタクトセンターでコンタクトセンターとして国内初の取得を果たし(2025年5月/ダイキン工業ニュースリリース、2025年6月)、麻布台ヒルズ 森JPタワーでは通信キャリアと半導体商社が高精度センサーとIoTクラウドを組み合わせ、入居テナントのWELL対応を継続的に支援する事例も生まれている(KDDI/マクニカ、2024年5月)。国内向けのCASBEE-ウェルネスオフィスも、竣工後・運用段階の評価では実際の環境測定データ(CO₂濃度・温湿度・照度等)の提出を求めており、評価軸の「実測化」は両制度に共通する潮流である(各社プレスリリース、2024–2025年)。
「取った認証を活かす」とは、毎年の実測で性能を証明し続ける運用設計を、コストとともに引き受けることである。
Opinion
ここからは、公開情報を踏まえたZenの見立てである(事実ではなく、論点提起として読まれたい)。
1. 「件数競争」は終わり、「維持競争」が始まる。 取得を支援する市場から、維持を支える市場へ――価値の重心は移りつつあるのではないか。WELL Operations Rating(2026年1月新設)に象徴されるように、評価軸はすでに"設計"から"運用"へ寄っている。だとすれば、これから問われるのは「何件取れるか」ではなく「取った認証を、毎年の実測でどれだけ維持できるか」だろう。
2. 認証は「コスト」ではなく「測定可能な経営成果への前払い」である。 需要側が認証に払う理由は、賃料プレミアム・資産価値・制度適合・採用力という4つに収れんする。いずれも数値で測れる経営成果だ。逆にいえば、維持できなければその前払いは回収できない。認証費用を"支出"とみるか"投資"とみるかは、運用を続けられるかどうかで決まる。
3. "何に払うか"が言語化された市場では、「測定」そのものが価値の基盤になる。 健康空間の価値が「毎年の実測で証明し続けられるか」に移るほど、測定・モニタリングの巧拙が物件の価値を左右する。測定を単なるコストとみるか、価値を証明し続けるためのインフラとみるか――この問いの立て方が、これからのオフィスを、そして測定に関わる事業者の立ち位置を、静かに分けていくのではないか。
健康オフィスの競争は、「取得した件数」から「維持し続けられる実測」へと移った。価値を証明し続けられる物件だけが、その価値を持ち続ける。
参考文献
IWBI/Green Building Japan(GBJ)「WELL 2026 Summit Tokyo」案内(2026年5月)
Green Building Japan(GBJ)「WELL認証プロジェクトリスト」「グラフで見るLEEDとWELLの今」(2026年)
IWBI「WELL Operations Rating」発表(2026年1月)
IWBI「WELL Performance Rating」概要・パフォーマンス検証ガイド(2022年発表/2025年版)
IWBI「WELL v2」認証・再認証・年次報告ガイド(2024–2025年)
IBECs(住宅・建築SDGs推進センター)「CASBEEウェルネスオフィス認証物件一覧」/ene-cal 月次まとめ(2026年)
経済産業省/日本健康会議「健康経営優良法人2026」認定結果・認定要件(2026年3月)
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」改正(2023年/2025年11月)
三井住友信託銀行・三井住友トラスト基礎研究所「不動産の環境認証の取得状況および経済価値の調査2024」(2024年7月)
DBJ・価値総合研究所「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査2025」(2025年11月)
CBRE「オフィスビルの環境認証の動向」「Japan Office Occupier Survey 2024」(2023–2024年)
JLL「The Sustainable Asset Advantage」ほか地域別分析(2023–2024年)
RICS グローバル商業不動産調査(2024年)
日本不動産研究所 J-REIT保有物件のキャップレート分析(DBJ Green Building 認証)
"Building & Environment" 誌 WELL認証オフィス研究(2023年)/健康認証オフィスの賃料研究(2025年)
大建工業 プレスリリース「DAIKEN R&DセンターがWELL Performance Ratingを国内初取得」(2024年5月13日)
ダイキン工業 ニュースリリース「東日本コンタクトセンターがWELL Performance Ratingを取得」(2025年6月6日)
KDDI/マクニカ「麻布台ヒルズ 森JPタワー」WELL対応支援(2024年5月)
Kaiterra/AirGradient 公開価格・コスト分析(2024–2025年)
RESET(GIGA)クラウドサービス料金体系(2025年)
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